1956年(昭和三一年)

●「ぼろぼろ大騒ぎ」開催。サン写真新聞にて大きく紹介される。
●『ばろーん』閉店
●「台所の魔術師」富沢末男、入店

酒と無縁の五〇年/本郷秀樹 - Hideki Hongo -

56年 ぼろぼろ大騒ぎ 写真 敗戦の五、六年後、今のどん底より少し南の強制疎開で凸凹になった瓦礫だらけの空き地の真ん中に小さな小屋が在り、その前で何脚かの椅子を外に出して地面から突き出た水道管のテッペンの蛇口から水を出し、タワシで椅子を磨いていた細身の青年がいた。その日叔父(本郷新)に連れられ外出した帰りにもう一人の彼の友人とそこに立ち寄り、日に乾かした椅子を小屋の中に入れるのを手伝わされ、その椅子に腰掛けた叔父に、おまえはもう帰りなさいと言われ一人で家に帰った時が矢野智さんと初めて会った日だった。

56年 ぼろぼろ大騒ぎ 写真 成人してから店にはほとんど行ったことはないが、たまには一緒にスキーに行ったり旅行したこともある。死んだおやじの口癖は「初めから飲める奴は居ない。酒は稽古だ」。しかし機会あるごとに嘗めたりすすったりしてみたが結論は「稽古までして飲むほど旨くない」であった。以来、どん底に全く貢献して居ない。だが智さんとは、長い間友なのである。

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感謝/近藤洋介 - Yousuke Kondo -

 青春の総てが『どん底』にあった、と云っても過言ではありません。
 一九五三年春、俳優座養成所六期生として入学したぼくは、まだ俳優の卵にもなっていないのに、もう一人前の新劇俳優にでもなった様な錯覚のまま仲間と呑み歩いていた浮かれ阿呆な時期、そんな時、本郷淳先輩に連れて行ってもらったのが『どん底』でした。

 以後、まるで我が家にでもいる様な大きな態度で出入りをしてた生意気な若造をアタタカク許してくれていた「悟さん」。感謝に堪えません!!

 智さんから、そして『どん底』の常連の諸先輩から教わった、アラユル知識が、生意気な若造を何とか養成所を卒業させ、俳優の卵にしてくれました。その『どん底』が五〇周年・・・・。まさに光陰矢の如し!!感無量です・・・・。素敵な時代を有りがとう!!

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