1962年(昭和三七年)

亜香ちゃん(抜粋)/青島幸男 - Yukio Aoshima -

“亜香ちゃん”は「アサヒグラフ」にて連載された青島幸男氏の筆になる小説。連載16回目は『どん底』の描写から始まる。

一升瓶の底を抜いたのが、電灯のカサがわりになっていて、すすけた壁に、今にもずり落ちそうにとりつけてある。

柱もハリも、太い荒けずりの丸太がむき出しで、おしかぶさるような低い天井を支えている。時計の文字盤の字もろくに見えないほど、あたりは暗くて、ロシアの農家の納屋か、ドレイ船の船倉のなか、といった感じだ。

新宿のうたごえ酒場『どん底』の二階のすみに、もうしばらく僕はすわっている。

学生服の客が多く、皆、同じように目のふちを赤くして、大声で歌っている。

階段を上がったところに、郵便局の窓口にいるおばさんみたいな感じの人が、アコーディオンをひいていて、時々すごく事務的な口調で、
「次は歌集三の三八ページ、ロンドンデリーの歌」ってなことをいう。

ルパシカを着たボーイさんが、びっくりするように、大きなよく通る声で歌うと、皆、声をそろえてどなる。
「帰れ、ソレントへ、帰れ・・・・・」
とか、あるいは、
「走れホロ馬車、ラーララ・・・・・」
次々に曲目はかわるけど、どの歌もみんな何か安っぽい悲愴感に満ちた、難民節ばかりなのが気にいらなかった。
すーっとむこうのテーブルにいるはずの亜香ちゃんを、僕は時々たしかめた。

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「どん底へいくべ」/早坂勝利 - Katsutoshi Hayasaka -

私とどん底の付き合いは、約四〇年近くにもなり、私が行っている店ではこれほど永く付き合っている店はまずない。私の人生の三分の二は行っていることになる。それでいて久しぶりに行くと昔の自分に戻り、青春時代の喜び悲しみ苦しみ、そして恋、またたく間に頭に浮かんで来る私が連れて行ったたくさんの女性?友人、知人の事は相ちゃんに聞いた方がわかるかな?

自分の好きな人を連れて行っても必ず「又連れて行ってね」と喜ばれる。友人や会社の社員、店の女の子達を連れて行っても「社長、この店いい。又私達勝手に来てもいい?」という。そして勝手に私のボトルを飲む。あとで相ちゃんに「この前誰々が来てボトル空けていったよ」、支払いが私に回る。心の中では「シテヤラレタ」と思いながらも、自分が連れて来て喜んで飲んで行ったのだから反面うれしいのだ。

その他色々の想い出はあるが、昭和三六〜三八年頃、貧乏学生で五百円一枚持って二階のカウンターでよく飲ましてもらった。トンちゃん(故村野)や相ちゃん、厨房のオヤジさん、その後ショウちゃんなど、みんなによく飲ましてもらった。嬉しかったことはたくさんあるが、二階のカウンターで隣にものすごく美人できっぷがよく、「学生さんでしょう、ジャンジャン飲みなさいよ」とごちそうしてくれた美人が冨士真奈美さんでした。本当に嬉しかったです。今でも私は冨士真奈美さんの大ファンです。

新宿のどん底だけでなく、スペインのどん底で矢野さんには大変お世話になりました。バルセロナオリンピックの一年半ほど前にバルセロナで焼肉店をやる計画でスペインに下見に行き、矢野さんに久しぶりに会い、たくさんごちそうになりました。店を開く相棒の事を矢野さんに相談した所、あまりいい相手ではないとさとされました。結局店は開かずに終わり、矢野さんには相棒になる予定の相手から、いやがらせを受けたみたいで申し訳なく思っております。すいませんでした。おかげで損なしで終わり、助かりました。

最近は忙しく、年に何回かしか店に行けず、ちょっと寂しいものです。「あ!!こりゃこりゃ」のオヤジさんも来なくなったが相ちゃんやショウちゃん、厨房のオヤジさん達が居るので、会えるのが楽しみです。世の中色々あるなと思ったのは、同級生の松竹に行っている古館君に、どん底へ行くぞと言ったら、「何?俺も学生時代から行っている」と。「よく会わなかったな」と不思議がっていました。店に行くと相ちゃんが「何、古ちゃんと早ちゃん、同級生なの?」とビックリしていた。また、最近知り合いに連れて行ってくれとせがまれ店に行くと、昔わたしの店にいた女の子にバッタシ会い、「久しぶり。嬉しい」と涙流されました。その子の連れと五人一緒に飲み、やっぱりどん底はいいなとつくづく思いました。

世代も変わり、若者もいっぱい来ています。老若男女を問わず末永く人生をカッポ出来る店として、おおいに発展して下さい。

皆さん、やっぱしどん底へ行くべや!!

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