1969年(昭和四四年)

●「どん底」を舞台にしたテレビドラマ サブタイトル「新宿の歌が聞こえる」

横田安正 -Ansei Yokota-

多分一九六九年だったと思う。フジテレビの駆け出しディレクターだった私はタイトルは忘れたが変なホームドラマを演出していた。

父親:西村晃、母親:河内桃子、長女:松尾嘉代、次女:紀広子、ゲストに当時売り出し中の石橋蓮司。

ストーリー
松尾嘉代は出版社に就職したばかりだが原稿〆切を守らない野坂昭如にさんざん翻弄されてノイローゼ寸前。ある晩ついにブッチギレた嘉代は発作的に家出して新宿の盛り場に向かう。それを知った西村晃は昔のガールフレンドでバーのマダム三条美紀に案内させ若者が集りそうな場所を次々と訪ねる。

みどころ
ミソは右に挙げた五人の役者以外は全員が実名で登場したこと。ハッポンこと山谷初男、若くして逝した流しの名手ジョージ、『どん底』地下のおかまバーで人気のあったキーちゃん等々・・・エキストラに至るまで『どん底』の常連でかためた。“変質者”を演じたのは私のアシスタントのアシスタントとしていた異様な雰囲気を持つ中年男の船田さん、脚本は飲み友達の阿部良(私は原形を残さないほど書き直したので後で怒られた)、セットデザインは酒の飲めない妹尾河童。

クライマックス
山場を手短に紹介する。
●嘉代がジャズ喫茶で偶然再会した古い友人蓮司と『どん底』で飲んでいる。哲学論を交わすうちに彼に対する好意が抑えきれなくなる。それを受けて悲痛に笑う蓮司。彼は同性愛、三角関係に悩んでいたのだ。折も折り、愛人のキーちゃんとラメ服に身をかためた美少年が鉢合わせとなりふたりはいきなりナイフを取り出し対峙する。総立ちとなる客。

●その時、数人の警官に追われた“変質者”船田が階段を物凄い勢いで駆け降りカウンターに突っ込んでくる。咄嗟に電源を落とすバーテン。暗闇の中で怒号と格闘音が響き、やがて船田は警官に確保されたらしく足音が階段に消える。(この間一三秒画面が完全に真っ暗になり技術陣は事故扱いにならないかと心配したが無事だった)。バーテン電源を入れる。キーちゃんとラメ服の美少年が倒れている。蓮司「しょうがねーなあ」といいながらフロアーに転がっているナイフを拾う。薄いペラペラのブリキで出来た模造品。

●バーテン「今日は店じまいだ。勘定はいいから帰ってくれ!」と怒鳴りながらボトルやグラス類が入っている収納箱をモップの柄でたたき割る。慌てて出て行く客。残った常連客、嬉々としてバーテンに倣い壊しはじめる。店は破壊の修羅場と化す。佳代も自分の身体ほどもある椅子をヨロヨロと持ち上げて投げ飛ばす。派手に飛び散るグラスとボトル。

●ハッポン「あらどうしたの?」と入ってくる。バーテンがマイクを渡す。ハッポン歌い出す。「♪ドンドンパッパ、ドンパッパ・・・」。真冬なのに男達は上半身むき出しにして奇怪な踊りを始める。佳代も踊りの環に入る。

●やっとたどり着いた西村晃ドアを開ける。半裸の男達の真ん中で腰をくねらせて踊っている愛娘。こめかみの血管が切れそうになって叫んだ。
「バカモノー!」

以上だがワカッタカナー? ワカンネーダローナー!

顛末
製作部長の岡田太郎にひどく叱られた。品のない作品は嫌いだという。「視聴率は良かったんですよ」と云ってしまったがこれは禁句だった。翌年、テレビはカラーの時代に入り私は「女系家族」「死の接吻」を演出したが間もなくドラマ班から一〇年以上追放されることとなった。

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酒縁奇縁/川上正人 -Masato Kawakami-

北海道根室という片田舎から上京してすぐに、長兄から、この店で飲んでいれば「安く」、「安心」だと言われたのが『どん底』であり、酒縁奇縁の始まりで、それからもう三二年余り経ち、数々のものを頂きました。その頃はまだ学生でお金も無く、まだボトルキープのシステムもなかった為、今は亡き「岡ちゃん」に、いつも千円をカウンターで渡し、御新香とビールを頼み、チビチビ飲んでいると「川上の弟」という事で、兄の友達が来て帰る時、その人達の伝票には、何故かいつも数本のビールが多くついていた様でした。又マスターの矢野さんには学生割引きなど無い時代、二丁目にあった店「二条」のママにも千円で飲み放題の交渉(脅し?)をして頂いたりと、とにかくお酒が飲める環境を作ってもらった様に思い、感謝しています。

二〇代後半には、『どん底』に飲みに行った年月が早い人が、年齢にまったく関係なく「先輩」であるという不文律があった「どんころ会」なる会(正式では無いと思うが)の一員となり、ゴルフだ、飲み会だと色々に集りがあり、その中でも最年少(年令でも)という事で、大変かわいがって頂き、私の新宿の夜は『どん底』を中心に回り、夜々飲んだくれており、その頃になりますと、もう「川上の弟」ではなくて「マサ」という通称で呼ばれるようになったと思います。

そして、三〇代、四〇代と重ねながら色々な人達と出会いと別れがありましたが、一番は従業員の方々、お客様立ちと異業種交流の場が『どん底』であり、私の成長を促してくれ、今でも仕事上、プライベートな面でも助けられている事です。この酒縁奇縁のお陰で、四〇代初め、憧れでもあったスペインに、矢野さんのガイドで『どん底』の仲間と約一二日間の旅行は、ゆかいで楽しく忘れる事が出来ない一つとなりました。最近は仕事の雑務に追われ年令も五〇代となり、『どん底』で飲む回数も少なくなりましたが、これからも『どん底』での“素晴しい縁”大切にしてゆきたいと思っておりますので、今後共よろしくお願いします。

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