●ベトナム戦争に対しての意思表示として『アメリカ人入店お断り』のビラを貼る。

1972年(昭和四七年)

『どん底』なくして今の私はない/野呂一生 -Kazuo Noro-

私が『どん底』でアルバイトをさせて頂いたのは、昭和四七〜四八年の頃でした。当時、劇団『四季』の研究生だった私は、その日の食事にも事欠く毎日で、店に入ってから自分で作った焼うどんを食べる事に喜びを感じていました。芝居に憧れ、役者を夢見る二〇代前半の若者でした。当時、「どんクラ」と呼ばれ「DG」のカンバンが掛かったあの地下の店に私は居ました。バイトが辛いと思った事は一度もなく、毎日とても楽しく仕事ができました。
 
そんな良い環境が、先輩のスタッフやお客様たちによって、自然に出来上がっていたのです。沢山の先輩達と出会い、とても刺激の多い時間を過ごし、田舎から出て来た私にとって、観るもの、聞くもの全てが珍しく、いろいろな事を一番吸収出来た時期でもありました。

その後、昭和四八年秋に、独立して自分の店を持ちました。おかげさまで、現在(株)てあとろんグループ代表として、新宿三丁目に三店、池袋西口に一店、渋谷松見坂に一店。結婚式の披露宴会場や二次会を中心に営業する店をやっております。

私にとって『どん底』のあの時代がなければ、自分で店をやる事など、考えなかったであろうし、人の集まって来る店の魅力に取りつかれ、自らそれを目指してしまったというのが本音なのかもしれません。

店のスタイルは違っても、常に『どん底』が目標であり、お客様を引きつける魅力がある店が、お手本として自分の身近にあるという事は、非常に幸せな事だと思っております。

五〇周年本当におめでとうございます。私もがんばって後を追います。

最近は亡くなった父の後を継いで、実家(小田原市)で、お寺(真言宗)の住職をしながら、東京都と小田原を行き来しています。

なかなか『どん底』に顔を出す、機会も少なくなりましたが、今後共よろしくお願いします。

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ウィリアム・カリー -William Currie-

私が初めてどん底に入ったのは、今から二九年前のことです。最初からその雰囲気は非常に気に入っていたので、すぐ常連客になり、今までずっと、二九年間、時々友達と一緒にそこで飲んでいます。

三年前から、かなり忙しくなり、どん底に行くチャンスが少なくなってきましたけれども、行くたびに、その昔の雰囲気がほとんど変らないということがわかり、安心して、懐しく思っています。

この二九年間、沢山人を連れて、どん底へ飲みに行きました。外国人と日本人、若い学生から年配の人まで、いろいろな人にどん底を紹介しました。例外なしに、みんなどん底のファンになっています。なぜどん底が好きになるか考えて見ますと、いろいろな理由が考えられるでしょう。料理はおいしいし、どん底カクテルはユニークな飲み物ですし、アットホームでリラックスした雰囲気が印象的です。二人での会話、あるいは、グループでパーティーをする場として、どちらも話しやすい所です。

どん底の常連になってからすぐ、そこで狂言師の三宅右近氏に初めて会い、そのあと何回も右近氏はうちの学生のために、狂言のデモンストレーションをやってくださいました。私も狂言のファンによって、よく右近氏の舞台を見るようになりました。

あっという間にどん底は長くて素晴らしい伝統が出来ています。今度創立五〇周年にあたり、相川さんとスタッフの皆様にお祝いの言葉をかねて、感謝の気持ちもお贈りいたします。これからも、また、長い伝統を作ってください!おめでとうございます!

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