1974年(昭和四九年)

土居 甫 -Hajime Doi-

五〇周年、おめでとうございます。
半世紀ものいろいろな時代を乗り越えて新宿で最古を誇る『どん底』を支えていらっしゃった“どんマス”、“相ちゃん”、“トミさん”他のスタッフの方々、心よりお喜び申し上げます。
“どんゴロ”と称し『どん底』を拠点に新宿で遊びまくっていたあの頃は、新宿のそこかしこに文化がありました。その中に身を置くことで文化人のはしくれになれたような気分の青くさい僕は、二階のペチカの前で酔いながら、酔いつぶれながら、青春の真只中でした。

喧嘩早く沢山のご迷惑をおかけいたしました事ここでお詫びさせて頂きます。お許しあれ!!

五〇年の歴史を背おって尚、“まだまだ青春”している『どん底』を励まし、そして励まされてカンパイ!!

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平田 昆 -Kon Hirata-

ある夕暮れ、東宝の助監督と、新宿のどん底へ立寄った。
あれから五〇年になる。
口角泡を飛ばし芸術論に明け暮れた。
方を組みながら、みんなで歌を唄い店から街へ繰り出した。
ある日、どん底へ行ったら焼跡になっていて、ボーゼンと立ちつくした事もあった。
暖炉が、うまく燃えず、店中煙だらけ、眼を真赤にしながら、どんカクを呑んだ。そして唄った。

その頃、一緒にいった、ひとは、今どうしているだろう。
一緒に唄った、アイツは、もう、この世にない。
“どん底”、思い出すたびに、私は、あの青春の日に帰っていく事が出来る。

現在、役者のマネージメントを業にしていますが、この原点も、どん底で内田良平氏と知り合った事から始まった。
役者のマネージメントについて、プロダクションについて、映画製作について、良平氏と、どんカクを呑みながら、三日も四日も激論を戦わした。最終的には「役者の革命軍的プロダクション」を作ろうという事になり、狼プロ、後に平田昆プロモーションを始めることになった。

私がいた。あなたがいた。それはずっと昔の事だった。
あれから、ずっと役者のマネージメントを業として、生きている。

そういえば、「どん底歌集」どこへいったかしら、家中を探したが、見つからなかった。いいや、きっと、いつか、みつけて、又、ひとしきり、どん底の夢にひたり、青春の夢にひたり。
夕暮れになるのを待ちかねたように、いそいそと、新宿へ出かけていくのだろう。

青春の原点“どん底”
私の原点“どん底”

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