1983年(昭和五八年)

杉山 隆一 -Ryuichi Sugiyama-

『どん底』五〇周年おめでとうございます。
私自身大学時代に「二〇才」知人に紹介され、その後四〇年の着き合い、年月の経つ速さを痛感します。私の『どん底』初めての印象は、お客同士が気さくで楽しい雰囲気であった。特に一番初めに紹介された相川氏のイメージが良かった。お互いにスポーツマンであった事もあって共通点もあったのかもしれない。

善し悪しは別にしてどん底にて多くの友人を持つ事が出来た。私の青春時代は『どん底』であったと思う。末永く今後共よろしくお願いします。

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「どん底」で癒される/小林 将利 -Masatoshi Kobayashi-

昭和二八年七月、粗忽な私は不注意により右手に怪我をした。深夜のことで、大量の出血が続き極度の貧血体質になった。脈搏のリズムが乱れ、やがて結滞がはじまって、時折心臓の鼓動が止まった。心臓が停止すると、目の前が真っ暗になり奈落に吸い込まれるのである。何のショックもなく奈落に落ちると、やがて前方に眩しい光りが見える。
脳死体験というやつである。

この死の不安のなかで、私はせめて三〇代くらいまでは生きたいと思った。そして、何でもよいから自分が生きた証しのようなことをしたい。私は片道キップを握りしめて、再び上京することにした。
東京に向う列車が、くねくねとした町を通り抜け、堂崎の鼻をゆっくりと曲った。東京から眺める尾道の海は、夕日に輝いてキラキラと眩しく瞼に焼き付いた。もう二度と見ることもないかも知れない父母や、友人の顔が、煌めきの中に浮んでは消えた。
東京での生活は悲惨だった。
或る日、浅草の観音様に詣でるため地下鉄に乗った。しばらくしてジッと自分を見詰めている髪の長い可愛い女の子に気がついた。終点の浅草でその子は降り、自分の後を付いて来た。「何かご用ですか」と振り返って聞くと、「いえ何んにも」と答えた。近くの喫茶店に入ると、彼女も続いて入り私の前の椅子についた。そして、怪訝な顔をしている私に向って静かに言った。「あなたまさか自殺しようと思ってませんか。」生気の無い私が心配でついてきたと彼女は真剣な顔をして言った。私はその考えの全くないことを話し、「一緒に歌いに行きませんか」と誘った。尾道中学で同級生の矢野君を思い出したのである。「新宿に“どん底”という歌声喫茶があるのを知ってますか」と聞くと「名前は聞いたことがある」と言って興味を示した。

「古い木の柱って、本当に落ちつくわネ」。彼女は歌の合間に店内を見まわしながら、すっかり気に入ったようであった。

臨死体験には時折襲われたが、五、六年もするとすっかり元気になった。目標だった三〇代は軽く過ぎ、古希も無事に通過した。それは『どん底』の雰囲気に癒されたお陰だと思っている。

今、私の元気を鼓舞した一〇才年下の彼女は、私の古里尾道の町と海を見下ろす高台の古い木の家にどっしりと満足げに鎮座しているのである。

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