1985年(昭和六〇年)

いつまでも変わらないでいてください。/吉井康悦 -Yasuyoshi Yoshii-

僕とどん底のお付合いは、高校を卒業して大学に入学してからということになりますので、もうすでに一六年目に突入したことになります(一八才はまだお酒飲んじゃだめなのよ、って突っ込みはしないでくださいね)。

その間、多くの方がそうであるように、情報誌の情報や口コミ情報などにしたがっていろいろなお店に出かけていきましたが、どん底のように通い続けているお店はありません。いまさらながらどうしてなのだろうと考えてみると、(お客のわがままをどん底ほど聞いてくれるお店はないということはおいておいて)、その理由は、マスターやチーフをはじめとするお店の方々、それからお店の雰囲気など、どん底全体が長い年月の間不変であること、すなわち、多くのお店がその時々の世界や流行に流されて次々と変わっていく中で、どん底は変わらず一貫した雰囲気を維持していることにあると思います。

僕はお見せに一見として立ち寄らせていただいたときから十六年以上経ち、多くの人たちとお店で時間を過しましたが、いつどん底に行っても、はじめていったときのような、本当にタイムスリップしたかのような気持にさせられます。そしてこのどん底マジックに引き寄せられて、今晩もどん底に足を向けるのでしょう。

マスター・チーフ・宮ちゃん・上野ちゃん・従業員のみなさん・・・これからも、変わらないどん底をまもっていってくださいね。

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『どん底』を知ったその日から・・・/原澤 秀樹 -Hideki Harasawa-

『どん底』創業五〇周年、誠におめでとうございます。
僕がどん底を知ったその日は、また一つ隠れ家を手に入れた満足感を秘かに感じた瞬間でした。

昭和三〇年代の子供の頃、新宿三丁目は親に連れられて買い物をした伊勢丹の周りにパンタグラフを延ばしたトロリーバスの走る、心のわくわくする町でした。それから三〇年近くが過ぎた。ある仕事に疲れた後、帰り道に久しぶりの新宿で途中下車をして、新宿三丁目の交差点から末広亭の方へと足を運びました。この界隈は以前から飲みに行っていた店々があり、普段と変わらぬ夜の光景を横目で見ながら歩いていました。JR新宿駅から程よい歩き疲れを感じた頃、いつも入る店の直前でふと横の路地に視線を移すと、木とレンガで建てられた粋な店が目に入りました。それまでは、こんな路地裏に店があるとは思ってもいなかった僕は立ち止まり、店の入り口から飛び出ている大きな木製の看板に書かれた大きな文字に興味が湧きました。『どん底』・・・何屋さんだろう?

この日行こうと考えていた飲み屋には心の中で悪いと思いながらも、足がその看板の方へと向いていました。その当時、店先にメニューのようなものが出ていたかどうかは記憶にありませんが、この店が僕の大好きなお酒を飲ませてくれる店であることは、雰囲気と長年の飲み歩きで培った第六感が直感させてくれました。でも料理が高いのか安いのか、料理が美味しいのか不味いのか、この目の前の重厚な木の扉の向こう側にはどんな人たちがどんな顔をして話しているのか、それとも皆黙って音楽に耳を傾けているのか・・良く僕の第六感が外れたことがなく、ましてや落語で人を笑わす末広亭と目と鼻の先にあるお店でボッタクリはないだろう。あったら洒落にならない・・・などと自分で自分に言い聞かせ、次の瞬間には木の扉の程よい高さに取り付けられた鉄の輪で出来た引き手を恐る恐る引っ張っていました。
「いらっしゃーい!」
店の中の雰囲気を感じとる間も無く、全く重い扉だなあと思った瞬間、木の格子窓の向こう側から歓迎の挨拶が飛んできたのでした。

「お一人!?」「はい」「どこでもお好きな所へどうぞ!」と言われたものの、用心深く数段の階段を上がり、何かあればすぐにでも逃げだせそうな一階の入り口近くのカウンター席に腰を下ろしました。「何になさいますか?」。人柄のとっても優しそうなバーテンさんがお決まりの言葉をかけてくれたので、僕もお決まりの「とりあえずビール」。すぐに『どん底』と大きく書かれたコースターに冷えたビールが置かれました。心の中で一人「乾杯」と唱えながら疲れた身体にビールを流し込み、二口、三口と飲み終えた頃には僕の警戒心は全くなくなっていました。ここまで来れば僕の好奇心は、この店がどんな店なのか。ひと目見ただけでも歴史を感じさせる雰囲気はどういう意味を持つのか。少しづつバーテンさんに問い掛けていました。益々僕の好奇心は膨らみ、勧められた「どんカク」とやらを飲み始めた頃には気分も最高潮に達していました。戦後に『どん底』で酒を酌み交わした人たちの中に三島由紀夫氏をはじめ著名な文豪や有名人がいたことを聞かされ、確かにいろいろな人の映った写真などが載った歴史を感じさせる古い新聞や週刊誌の切り抜きが、大切そうに額に収まって壁や柱に飾ってるのを目にして実感していたと思います。

ドンカクを三杯ほど飲んだ時には、僕は秘かに「また一つの隠れ家ができたな」と久しぶりに落ち着ける、心を癒せる、自分好みの店を発見できたことに満足感を抱いていました。今度、酒好きの仲間にも自慢してやろう・・・そんなことを考えながら初日の『どん底』探検は終わりました。そして、その日以降は時々仲間でドンカクを酌み交わしながら仕事の疲れを癒したり、愚痴をこぼしたり、帰るころには「明日もがんばるぞ!」という気分に・・・。

僕はこれまで気に入った店を見つけると、みつけたその日から毎日か一日置きに数回足を運んで、通い詰めながら店のスタッフと何気ない会話をして覚えてもらう、という手法(酒法?)を取ってきました。その点からすると、初めての『どん底』への攻略は自分らしさを欠いていたかもしれません。その訳は今では思い出すことができませんが、それから数年が経ちました。平成が二桁になった頃、僕が仕事の関係でメチャメチャ忙しい毎日を過していた時に現れたのが「百々子」という女性です。彼女が僕にとってどういう存在かは、ここでは内緒にしておきます。自分では「森の妖精』と言っていますが・・・。そんな彼女を伴って『どん底』を訪れたのが二度目の攻略だったと確信しています。僕にとって本格的に『どん底』を再認識できた時でした。彼女は初日に二階のカウンター席での雰囲気をとっても気に入っていました。アンティークな調度品の数々に興味を示し、ドンカクの美味さに惹かれ、流れてくる音楽の趣味の良さに感動し、過去に文豪の通った歴史観に酔い浸っていました。勿論このような素敵な店を以前から知っていた僕の格が上がったことはお察しのとおりです。

彼女と共に、『どん底』に通い詰めて二年以上が経ちましたが、今では入り口の重い扉の感触も手になじみ、格子窓の向こうから「原ちゃん、いらっしゃい!」という相川さんの声で迎えられ、一週間も間を空けると「久しぶり!」と言われてしまいます。二階のカウンター席がふたりのお気に入りです。席に着くと、バーテンさんの上野さんが黙ってボトルのスコッチを彼女に、アイリッシュを僕の前に用意してくれまる。美味しいピザやポテト料理をつまみながら語り合っていると、いつの間にか店中はお客さんで溢れかえっています。

今、我が家のベランダで栽培しているレモンの木に、まだ緑色で控えめながらもぶら下っているレモンを『どん底』に持参して、“ホーンスネック”を味わいながら、皆で多いに語り合いたいと思います。そして、今では昔懐かしいレンガ作りの暖炉を冬の寒い日に見かけることはなくなりましたが、一年中スタッフの温かいもてなしに癒されています。

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